01/04/05
徒然草2(長寿の価値・・老人力1)
徒然草の続きです。
「住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。
命長ければ辱(はぢ)多し。
長くとも、四十(よそじ) に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。 」
と言うのです。
ここまで言われると、定年後の人たちは、生きて行く意味がなさそうですが、兼好さん自身、こんな事を言いながら、67歳まで生きていたのです。(今に直せば90歳以上でしょう)
まあ、確かに40前後で死ねば、周りの人も惜しんでくれますし、お葬式にも大勢集まってくれるでしょうが、その辺で死ぬのでは、残された妻子であれ夫であれ周りが迷惑ですし、国家的に見てもマイナスです。
要するに、現在の長寿社会では40歳以下で亡くなるのは人としての責任を果たしていないのです。
兼好さんの時代の寿命を今に直せば60歳(ムソジ)前後でしょうが、矢張りいまどきは最低80歳くらいまで頑張って欲しいものです。
そうは言っても年をとるだけで、やれ、孫が大学に入るまで、結婚するまで生きたいものだと「夕べの陽に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、・・・・・」と言う具合に、兼好さんの指摘したとおりの人が結構います。
昔も今も人の気持ちは変わらないものですが、これでは、
[飽かず、惜しと思はば、千年(チトセ)を過 (スグ)すとも],
「一夜(ヒトヨ)の夢の心地こそせめ」
と言うわけで、兼好さんの言うとおり「命長ければ辱多し」になってしまうでしょう。
いわゆる「馬齢を重ねる」ことになるのです。
兼好法師のこの言葉が有名なのは、人は原則として命長ければ、価値があること、老人には相応の知恵がつき社会で重きをなすのを前提としているのです。
老人には老人力が有ることを前提として、「無駄に年をとっていると、そういう訳に行かなくなるよ」という警告としての意味があるのでしょう。
兼好さんは長生きしていますが、彼は動乱期をしたたかに生きていますので、決して馬齢を重ねていたわけではありませんから、言行不一致ではないのです。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:ゆとりに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:正月に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC