01/03/05

馬齢を重ねず(徒然草1)

昔は数え年でしたので、年があけると1歳年をとりました。
数え年でない今でも、年が改まると何となく、「今年はいくつになるなあ!」という感慨を抱きがちです。
高齢化してくると、謙遜して「馬齢を重ねる」と言いますが、定年を過ぎてフロー収支バランス(経済だけでなく、体力・気力・知力その他全ての指標)がマイナスになってきますと、身近な熟語になってきます。
それにしても、何故馬齢なのか不思議です。
馬が特別長生きと言うわけでもないし、馬でも牛でも鶏でもいいのでしょうが、語呂がいいので誰かが「馬齢」と言い出して、それが格好いいと言うので定着しただけかもしれません。
馬のほうは、いい迷惑です。
馬だって若いころは、1歳馬2歳馬と順次活躍するのですから、現役である限り無駄に年を重ねているわけではありません。
徒然草に、「命永ければ辱多し・・」と言い出してから、年齢を重ねることは意味がないように自嘲気味に話すのが格好よく思うようになったのでしょう。
以下は誰でも知っている徒然草の第7段ですが、厳しいことを書いていますので(正月早々恐縮ですが、)念のため紹介しておきましょう。

「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙(ケブリ)立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。」

確かに、動物や魚を見渡すと、昔も今も馬だけでなく、人間より長生きするものはあまり見当たりません。
但し、私は12/16/02「動植物の権利能力について 2」以下で連載したとおり、植物も生き物の仲間で心通うものだという考えです。
花や観葉植物は、単に水や肥料をやるだけで無視していると元気をなくしますが、大事に可愛がってやると元気になるものです。
そして、屋久島の縄文杉ばかりでなく、各地の著名な桜や杉のように、樹木の寿命は途方もなく長いのがありますよ!

「かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋(ハルアキ)を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ヒトトセ)を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。
飽かず、惜しと思はば、千年(チトセ)を過 (スグ)すとも、一夜(ヒトヨ)の夢の心地こそせめ。」

人生は心の持ちようで、千年生きても一晩の価値しかない生き方もあります。
僅か1年の生涯でも内容次第で、「こよのうのどけしや」と言うわけです。
矢張り、兼好さんは良いことをいっています。
兼好さんに笑われないように、単に長生きするだけでなく、内容実質のある1年を送りたいものです。



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