01/27/04

赤穂浪士は何のために結集したか?(忠臣蔵3)

他方、赤穂藩の家臣の行動を考えますと、当時は終身雇用どころか世襲が基本だった上に諸大名もリストラに励んでいる時代でしたから、その分新規雇用は滅多にない社会です。
綱吉時代には文治主義に移行していましたので、一旦浪人すると、新井白石のような学問上の超有能者は別として、普通の頭では再就職はとても厳しく、食っていける人は稀れです。
ところで、現在では「食っていけない」と言うのは、比喩的表現ですが、その時代は生活保護がないので、文字通り食えず死んでしまうか犯罪でもするしかないのです。
ちょうど時代の曲がり角で、幕府自体が吉宗以降は、経済政策を政治の正面に据えるようになったことから分るように、元禄期ころには既に、武断派には、再就職の道がなかったのです。
浅野家も吉良家でも、殖産興業が政治の中心になっていたのです。
両家はともに塩田開発でライバル関係にありましたし、後に紹介する上杉家でもご存知の紅花の特産で活路を開こうとしていたのです。
紅花のライバルの最上藩(関が原のときには最上家に上杉家は攻められた仇敵同士ですし、この最上家は後に改易されましたが・・・今度は特産品のライバルになったのです。)を通過する最上川を利用できず、旧領地の越後を通じて陸路日本海に出荷していたのですから大変な苦労でした。
車のない時代に川を利用できるかどうかは、死活問題ですからね。
旅行してみると、いろんなことが分って面白いですよ。
忠臣蔵では、仲間に入らないことを理由に悪役扱いにされている大野久郎兵衛は、もともと、商人から、その才覚を買われて家老に抜擢された人物ですから(現在の民間出身の竹中金融庁長官と同じです)、藩がなくなっても幾らでも身の振り方が在った筈です。
それに塩田などの実務に従事していた人たちは、次に赴任してきた大名から、3顧の礼で迎えられたはずです。
浪士は、討ち入りの為=あだ討ちの為にずっと結集していたのではなく、それ以外に生きて行く方法のない、武断派がお家再興、再就職の為に運動していたにすぎません。
再興が出来たら討ち入りなどするわけに行かないのですから、お家再興運動とあだ討ちは矛盾関係になるのです。
こうした観点からみれば、彼らは当初はあだ討ち・忠義の為でなく、お家再興即ち就職先を求めて結集していたことになります。
それが行き詰まったことから、(2年もたてばもう食い詰め状態です。)ヤケのヤンパチ吉良をスケープゴートに 選んだ可能性があるのですから、吉良の方こそいい迷惑だったでしょう。
いい迷惑といえば、再就職の可能性の高かった筈の大石内蔵之助(これも物語りの必要上偉大な人物と持ち上げた虚像かもしれません)が、立場上浅野家再興運動の責任者にならざるを得ず、そうなると、決着がつくまでは他家へ再就職できません。
その勢いでずるずる討ち入りまで嵌ってしまっただけの気の毒な人物ではないかと言えます。(それほどしっかりしていなかった?)
彼は吉良を欺く為に、山科で遊蕩に耽っていたように描かれますが、(これも事実は違うようですが)過激派からの突き上げで、次第に討ち入りの方向へ流されていっただけではないでしょうか。
ある反対運動の責任者になるには一般的に人望のある人が担ぎ上げられますので、本来穏健な人が多いものですが、その運動が次第に過激になっていっても止められず、最後に責任を取らされることがよくあります。
大石は、西南戦争に担ぎ出された西郷隆盛と似ています。




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