01/22/04

中世から近世へ(国家権力の強化)2

現在では、国民主権・民主国家と言われて国民が強くなったような気がしていますが、実は近代国家ほど国家権力の強い時代・その分だけ国民ひとりひとりの弱い時代はないのではないでしょうか?
地方分権のコラムで書きましたが、単位が大きくなればなるほど、構成員ひとりひとりの発言力、個人の大切さが小さくなる関係にあるのです。
幾ら地方分権しても国の人口が多すぎると一人一人が弱くなりますので、人口全体も少ない方がいいですよ!
学校で言えば、クラスさえ小さければ、ひとつの学校に一学年100学級もあっていいとは誰も思わないでしょう。
こうした関係は、外国人移入反対のコラムで昨年1月に連載しました。
権力が強くなりすぎ、その裏として国民が弱くなりすぎたのをごまかす為に、国はみんなのものだとか、多数による支配などいろいろな誤魔化し装置を考え出しています。
しかし、これは単なるマヤカシであって、少数者が多数を支配している事実に変わりないようです。
私が受験した当時の司法試験科目であった政治学では、これを政治のパラドックス・民主主義と言うのは王権神授説と同列の政治神話に過ぎないと習ったような気がしますよ。
税金であれ何であれ、今ほどぎゅうぎゅう絞れるだけ絞っている時代は、歴史上ないはずです。
国家権力は、国民にそうした事実を気づかれると、政治権力の正当性が失われますので、何とかごまかすのに必死です。
マスコミも学者も小説家も、みんなそろって、昔は暴君がいて何をされても仕方なかったと言う暗黒時代的な描写をしています。
「今はいいぞ」と言う宣伝工作に加担しているのです。
今の方が裁判などの形式を使って冷酷非情なことを幾らでもしていますが、一見権力から遠いところでやっているかのように、仕組みを複雑にしているだけのことです。
権力者の意向で司直は動いていても、「政府は知りません。司法権には口出しできません」と都合よくほっかむりしているだけです。
現在進行中のロシアの政治的検挙を見てください。
当然プーチンさんは、司法部のことは知りませんと言い訳しているはずですし、今では政治亡命などは成り立たなくなっています。
マハチールさんに楯突いた元大臣は直ぐ何かの刑事事件で逮捕されましたし、政治犯というものは、いつも何かの違反を理由に検挙されるのです。
なお、19日の日経オピニオン欄に、罪刑法定主義と言っても、あらゆる分野で官僚のさじ加減を許している問題点を、以前から私の主張しているのと同じ角度から、著名経済学者の野口悠紀雄氏が書いていましたよ。
ちなみに、私の意見は主に平成15年8月12日の「罪刑法定主義」や、16日の「令状主義」の説明で書いていますので、そこを参照してくださればその関連箇所が更に出ると思います。
事例は少し違いますが、論旨は私の意見と100%そっくりで、先ずオウム真理教信者が、ホテルで偽名で宿泊したことを理由に検挙されたことや、誰でもやっているスピード違反を例に挙げて、警察の都合で検挙できる社会・御目こぼし運用に対する批判です。
こうしたことは、このコラムで、繰り返し私が主張していることですが、こうしたことに一般の人も目を向けてくれるといいと思っています。
要するに、今は、権力が剥き出しでなく、複雑に運営されているだけで、その実質は昔に比べてずっと強くなっているし、警察に睨まれたら助からない仕組みであることも変わりません。




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