01/21/04

中世から近世へ(国家権力の強化)1

時代区分は、経済活動その他いろんな指標による区分があると思いますが、法の世界では、法が道理に勝るようになったのが、近世の特徴(非理法権天)らしいです。
非理法権天とは、非即ち道理に反することは道理に負け、道理は法に負けるというものらしいです。
この順でいくと法も時の権力にはかなわない、権力は天、即ち天命に反すると、天命を革(あらた)める即ち、革命となると言う意味になります。
中世と近世の違いは、中世では権力が十分成長していなくてひ弱でした。
足利幕府の基盤の弱さについては、1月13日のコラム「中国の歴史観」で既に述べました。
幕府といっても基盤が弱くて法らしい法も作れなかったばかりか、やっと作った御成敗式目(日本3代法典のひとつと言われていますよ。)でさえ、前回のコラムで紹介しましたように、一生懸命言い訳しながらでなければ制定出来ませんでした。
しかもその運用として「道理即ち慣習が優先する」とわざわざ定めざるを得なかった時代だったのです。
昔の権力者は、何をしてもよかったみたいな印象をお持ちの方が多いと思いますが、物語と言うのは非日常性が必要ですから、どうしても権力者の理不尽な行動を機軸にして、それを超人的能力者が解決するような筋書きになりがちです。(水戸黄門がよい例ですが、そんなに、しょっちゅう悪家老がいたわけでは有りません)
また信長がなど戦国大名の行動を見ると、彼らがものすごい権力をもっていたように思われがちですが、むしろ江戸時代と違って、豪族はどちらに付くか、家来は家来で転職の自由があったので、大名の方がすごく気を使っていたのです。
大阪の陣で大阪方で活躍した塙団右衛門という人は、主君が余りにもひどいので主君を袖にして自分から出ていったことで有名です。(諸説有ってハッキリしませんがいずれにせよ彼が大名を転々としたことは間違いないようです。)
後藤又兵衛も黒田如水の息子とそりが合わずに辞めたり、春日の局の元夫(稲葉)も、小早川家の5万石取りの大身だったのに、意見が合わずにやめたりしています。
今でいえば終身雇用のサラリーマンが何もいえないのを江戸時代の家臣や大名に比喩すれば、それ以前の豪族や英雄豪傑と大名との関係は、車メーカーと販売代理店や、一流野球選手みたいな関係でしょうか?
ただ、当時の権力者は、後のコラムで書きますが、権力機構が複雑ではなかったので、処罰も自分で直接しなければならなかったので、目立つているだけです。(その分慎重さを要求されました。)
今のテレビドラマを後世の人が見ると、サラリ−マンが家庭に帰らず毎日喫茶店などでたむろしていろいろ話し合ってしているように見えたり、狂牛病や、鶏、鯉のウイルス、阪神大震災やオームの事件、学校での児童殺傷事件を(圧縮して)箇条書きにする年表(何も事件のないことは書きません)では、ものすごく危険が連続していて皆おびえていた時代に見えるでしょう。
しかし実際は、同じ場所、人に繰り返し降りかかった災難ではないのです。
このように小説などの分野から社会常識を形づくって行きますと、いかにも昔は、ひどいことが多かった社会のように脳みそに刷り込まれがちです。


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