01/20/04

江戸時代の相続制度 2(武家)(喧嘩両成敗)

武家の相続開始原因には、現在と違って、死亡のほか隠居がありました。
死亡の場合は、跡目相続、隠居の場合を家督相続と言い分けていました。
嫡子が死亡して弟がいる場合に、自動的に繰り上がるのではなく、嫡子願いが必要でしたし、当主の弟が相続するには養子にしておく必要があったのです。
忠臣蔵の例で説明しますと、浅野内匠頭には、弟の大学がいたのですが、養子届をするひまもなく、あっと言う間に切腹が執行されてしまったのです。
なにしろ、即日切腹と決まり執行されてしまったのですから、早馬が何日で着いたとかが話題になっていますが、電話があっても、間に合わなかったでしょう。
嫡子願いのないまま死亡したので、相続人なしとしてお家断絶となったわけです。(取り潰しではありません)
幕府としては、切腹を命じただけで、浅野家の断絶まで命じたものではないと言う表向きのこざかしい論理です。(こういう小利口な政治は揉め事の元です)
ところで、みなさんは「喧嘩両成敗」という言葉を聞いたことがあるでしょう。
忠臣蔵では「喧嘩両成敗」のルールに反すると言う反逆の論理・「判決」に服しがたい理由が語られます。
一見ありふれた言葉のようですが、この法は、中世から近世への過渡期に生まれた画期的な法だったのです。
鎌倉・中世社会までは、幕府権力が弱かった為に、その制定する「法」よりも道理(慣習法的につちかわれたもの)が優先する建前でした。
有名な御成敗式目の制定(1232)にあたって、編纂者の北条泰時は、「ただ、道理のおすところを被記候者也」と書いており、式目は、道理を文書化しただけであることを強調(言い訳)しています。
さらに、式目起草者一同の起請文には、
     「ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず権門を恐れず、詞を出だすべき也」

とあって、権力者におもねらず、道理による裁判の実現を目指す幕府自身の決意が現れているようです。
近代法の自由心証主義と似ていて、立派な文書だと思いますが、時代が周回違っているようで、この文章の意味するところは、決して幕府が勝手な法を作って強制するものではないと言うところに意味があるらしいですよ。
こうして、中世では、道理に依る裁判であって、法はその具象化したものに過ぎないと言うか、法自体細かく存在しなかったことも有るでしょうが、先ず、慣習法や道理がどうであったかが究明されることになっていたのです。
法と道理が相容れないときには道理が優先すると言うのですから、今から考えてもそんなにおかしいとは思いません。
今だって道理に反した法が出来ても国民が納得できませんから、その法の実効性がなくなってしまいます。
ところが、徐々に、幕府権力が強くなってきて、法(即ち幕府の決まり)の優先適用が少しづつ広がってきていたのです。
その究極的表現が、けんかの理非曲直即ち道理がどちらにあろうと、「両成敗」とすると言う法の出現でした。
道理があろうがなかろうが、道理の主張を認めず権力の力で「けんか」した事実だけで「両成敗」というのですから、幕府権力が定めた法の威力を宣言した画期的な制度と言うことになるようです。
文字通り有無を言わせないのです。
次回に道理が法に優先する事例を紹介しましょう。


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