01/13/04

中国の歴史観

玄宗皇帝は歴代の皇帝と違って、楊貴妃を寵愛したと言っても結構冷静でした。
政治問題に関して、楊貴妃には全く口出しさせていないし、皇太子の廃立問題を起こしていません。
こうした点は漢の時代から、寵姫ができると殆どの皇帝が、皇太子廃立問題を起こしているのに比べて特筆すべき冷静さです。
彼は最後まで賢帝として頑張っていたのですから「傾国・・国を傾けてもいい」などと思っていたわけではありません。
安録山・史思名の乱は、こうしたこととは関係なく時代の矛盾として起こるべくして起こったものなのです。
中国では、歴代皇帝が天命を受けて統治するものであって、天命の尽きるときに革命・騒乱が起きると言う歴史観が一貫しております。
天命の尽きるときと言うのは、皇帝が天命を体現できなくなったとき、即ち個人的不行跡が有る場合として古来から措定され、歴代王朝末期には、酒池肉林のような奇想天外な不行跡が書き残されることになります。
さすがに歴史時代になると、事実に反した悪業をかけませんので、事実ではない内心の「傾国を思」っていただろうくらいの悪口し書けなかったのでしょう。
徳川幕府も、特定の政治家が悪くて明治維新になったのではなく、「この石頭め」と勝海舟に言わせたほど、一定期間続いた結果官僚機構(吉宗に発すると言われています。)が硬直化してどうにもならなくなったのです。
明治維新は、官僚化が行き着くまで行き着いた結果、政権担当者(役人)総入れ替えを必要としていたから起きたものです。
日支事変に始まる太平洋戦争時の軍内部も、官僚機構がのさばってどうにもならなくなっていた結果だと私は思っています。
ちなみに私の立場は、現在の官僚機構もそろそろ硬直化が激しくて寿命が来つつあるのではないかと言うものです。
ついでに言いますと、鎌倉幕府崩壊の原因として、あたかも最後の得宗であった北条高時が闘犬に凝っていたことを挙げる本を見かけますが、個人責任に帰したがる歴史家のこじ付けでしかありません。
足利義政の場合も同じです。
彼は遊んだから、駄目になったのではなくて、はじめは頑張ったようですが、何と言っても足利家自体は、武力も直轄領地も何もないのですから、やりようがなくて文化事業に活路を見出したと言うのが正解でしょう。
もしも5代将軍のように力もないのに頑張りすぎると、嘉吉の乱の2の舞となって、国中が乱れただけだったでしょう。
ついでに言うと、歴史上日野富子の悪口が満載ですが、彼女が強欲に稼がなければ、幕府を維持するお金もなかったでしょうし、夫・足利義政の東山文化も生まれなかったのです。
お陰で現在の我々は、京都へ行って、あの銀閣寺とその庭園(枯れ山水ばかりが有名ですが、周辺の緑滴る丘の散策はいいですよ)を散策出来るわけです。


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