01/12/04
同姓娶らず 5(長恨歌にみる中国の男女関係1)
歴史に出てくるのは、下位者が上位者の妻を寝取った場合だけですが、実際は上位者からの実力による取り上げだっていっぱい有るのですが、歴史と言うのは権力者に反したことを書けませんから、表面に残らないだけです。
今回は、玄宗皇帝と楊貴妃の関係からみて行きましょう。
唐詩は、わが国平安時代の文学に多大な影響を及ぼしましたが、その中で白居易の詩は、特に白氏文集と言われて愛好されました。
そのなかでも、著名な長恨歌で知られるラブストーリーをここで思い出して見てください。
ご存知と思いますが、長恨歌の一部を紹介しておきましょう。
漢皇重色思傾国 御宇多年求不得
楊家有女初長生 養在深閨人未知
天性麗質難自棄 一朝選在君王側
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・・・・・この間何十聯もあります・・・・・・・
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悠悠生死別經年 魂魄不曾來入夢
臨_道士鴻都客 能以精誠致魂魄
為感君王輾轉思 遂教方士殷勤覓
排空馭氣奔如電 昇天入地求之遍
上窮碧落下黄泉 兩處茫茫皆不見
忽聞海上有仙山 山在虚無縹緲間
楼閣玲瓏五雲起 其中綽約多仙子
中有一人字太真 雪膚花貌参差是
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天長地久有時盡 此恨綿綿無絶期
このコラムの読者は漢文を読める方が殆どでしょうが、以前に教育勅語や明治憲法の原文をそのまま紹介したところ、読み難かったようですので、念のためある程度読み下しておきましょう。
「漢皇色を重んじて傾国を思う」と言うのは、仮名手本忠臣蔵が、事件を鎌倉時代に置き換えるのと同じ手法です。
漢皇即ち玄宗皇帝のことです。
傾国・国を傾けてもいいほどの(呉越の争いで有名な西施のような)美女を求めていたと言うのです。
「御宇(ぎょ うと読みます)多年求むれども得ず」とは、玄宗の治世(御宇)の間中長年求めていたが、なかなかこうした女性にはめぐり合えなかった。
果たせるかな、「楊家に女あり、初めて長生す」楊家に初めて(いかにもおぼこと言うイメージです)成長したむすめがあったのですが、「養われて深閨にあれば、人、未だ知らず」深窓で育ったので誰も知らなかった(異性経験がないという意味も含むかも?)。
ところが「天性の麗質おのずから棄てがたし」・・・・おのずからその麗質は発露して皇帝の眼にとまるところになったと言うのです。
日本だけでなく中国でも後世になると、この名詩を通じて、楊貴妃を先ず理解しますので、楊貴妃は深窓で育ったので、「人いまだ知らず」と言う純真無垢な御姫様の想像からはいって行き勝ちです。
ところが、実は、楊貴妃は幼名玉環といい、玄宗皇帝の妃になるおよそ10年も前の735年,玄宗皇帝の第18皇子寿王瑁の妃となっていたのです。
玄宗皇帝は、寵妃であった武恵妃を失った後、その代わり(ということは梅妃のような、楚々たる美人ではなく、肉感的な既に男を知っている女を求めたのです。)として744年楊氏を宮中に迎え,翌年,貴妃の称号を与えたもので、もともと息子の妃を横取りしたものです。
ちなみに貴妃と言うのは、後宮の位の一つで、今の皇太子妃とか王妃のような格式ではありませんし、玄宗皇帝は、彼女を皇后にはしていません。
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