01/31/03
マスコミ報道と人権(無修正主義の問題点6)
マスコミは、警察発表をそのまま発表し、しかも容疑者の氏名職業まで公表します。
その結果警察発表と同時に、社会的には犯人と言うイメージが強固に形成されるばかりか、その後の追加報道でも、未だ白状しない、ぺろりと食事を平らげた等、いかに容疑者がふてぶてしいかと言う印象を国民に植え付ける為に必死に警察に協力をしています。
こういう我国のマスコミ状況下で、陪審制が採用されると、いい結果になるのだろうかと言う心配をしています。
陪審制採用の為には、先ず、マスコミの報道のあり方から、かなり改めないと極めて危険な事になるように思いますがどうでしょうか?
マスコミが、警察の逮捕段階から、大々的に報道するのは、前回のコラムで書いているように、裁判結果の有罪率の高さに有ると思います。
警察が逮捕までした以上は間違いないと言う思い込みが生じ、国民もそう思いますので、マスコミ報道に違和感がなく、報道の仕方に弁護士会や人権団体が異議申し立てしても、草の根の支持がないのが、マスコミの過剰報道を支えているのではないでしょうか?
でも,大方売れれば、多少のロスや失敗は許される商品販売とは違い、人権侵害報道は取り返しのつかない、きずを被害者に負わせてしまいます。
『万人の悪人が逃れても、一人の無辜を許さない』と言うのが基本的人権を考える際の鉄則です。
そうは言っても、99%の有罪率ではどうしても先入観が働くのが自然ですので、いくらマスコミ批判をしても解決しないのではないかと思います。
問題は、検察の起訴率の低さに有ると思うのです。
検察官は裁判官ではないのですから、本来5割程度の確率で有罪になれば良いと言う感じで運用すればどうでしょうか?
私は弁護士になった時からそう思って来ました。
これに対しては、『とんでもない、起訴された人の人権はどうなるんだ』という声が直ぐ飛んで来そうですが、その非難は、99%の有罪率のせいで被告人になると、有罪推定されている現状を前提とするからではないでしょうか?
或いは警察が事件として取り上げるのは、余程の場合だと言う国民意識があるからだと思います。
単に、警察がやるべき事をしないで怠慢している事が、却って有罪率を高めて、国民の信用を得ているのだとしたら滑稽な事ではないでしょうか?
国民の訴えを殆ど聞かず、横柄に構えて、誰が見ても間違いないと言うものだけ仕事をするのが、有能の評価になるなんておかしくありませんか?
むしろ役人は須らく公僕に徹して、際どい事件も、訴えがあれば、捜査してみる心構えが必要ではないでしょうか?
また、後に書きますすが、個の有罪率の高さが、保釈の運用にも影響しているのかも知れません。
ある程度の訴えがあれば捜査して、その代わり簡単に保釈を認めて無闇に逮捕勾留を認めない、運用にすれば、起訴や逮捕した以上は是が非でも有罪判決でなければ、警察に汚点がつくとばかりに、被告人に有利な証拠を隠したりしてまで頑張る必要もなくなり、(与党が簡単に法案の修正に応じられるのが健全なのとと同様)もっと公正な刑事裁判になると思います。
私は、このように現状を変えるべきだと言っているのです。
そうすれば起訴されたからと言って、『やってみなければ分からないしなあ』という国民意識が醸成されて來るでしょうし、ひいてはマスコミも『警察発表も眉唾ではないか』と言う公平な報道をするようになるのではないでしょうか?
それに何と言っても、99%も有罪率では、本当はもっと多くの無罪の人が起訴されていても、裁判所が先入観を持ってしまっている為に、無罪者が見落とされると言うか、信用され難い風潮が有るのが問題なのです。
いかに有罪率が下がっても、裁判所の公平な審理を望むのは無理でしょうか?
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