01/30/03

無罪の推定(無修正主義の問題点5)

刑事被告人は無罪推定される事になっています。
しかし、実際裁判になると、99、何%の有罪率の運用の為、刑事裁判は、空洞化しているのです。
国会の議論が低調になっているのと同じで、弁護士も苦しいですよ。
裁判所は、役人が根拠のない起訴をする筈がないと言う、官尊民卑の先入観が有る上に、99%の確率では、先入観がより強固になるのは仕方のない所です。
この為本当に無実の人が誤って(或いは当局ににらまれて)起訴されると、裁判所の先入観を覆すのは大変な事になります。
無罪の推定どころか有罪の推定を受けているのです。
何故こうなるかと言うと、検察官が、起訴するかどうかの決定権を刑事訴訟法上持っていて、これを起訴便宜主義と言います。(刑事訴訟法248条)
警察が被害申告を受け付けないのと似ていますが、行政庁が申請を受け付けないのや、警察が受け付けないのは、こうした法律上の権限ではなく、単に職務不作為をしているだけですので、法的には全く意味が違います。
99%の有罪率になるのは、検察官は被害申告を含めた全事件の約4%しか起訴していないと言われているとおり、極め付きの厳選主義だからです。
少しでも証拠上弱いとなれば、起訴しない、失敗を極端に恐れる気の小さな ?役所と言えるでしょう。
でも、裁判と言うのはそこで判定するのが本質です。
裁判制度は、大会社の稟議書のように、めくら判を押す為のものでは有りませんから、判断に迷うような事件もどしどし裁判に出して、裁判所の判断を求めるべきではないでしょうか?
そうすれば、物事の境界線がはっきりして、皆が行動し易くなるでしょう。
文字通り、罪刑法定主義が機能するのではないでしょうか?
現在のように、法理論上争いのない確かな所だけで勝負(起訴して裁判所の判断を求める)しているのでは、境界線の事件について、プロと言えども判例がない為にはっきりしなくなってしまい、経済や市民の行動が畏縮してしまいます。
学説や、判例上、はっきりしない境界線上の分野こそ、果敢に起訴して、裁判所の判例を求めるべきではないでしょうか?
こうした分野を敢えて起訴した結果、仮に検察の主張が認められなくて無罪になっても、検察官が責任を感じる必要はないのです。
法理論上決着がついていいるばかりか、判例変更の余地もない事例で、敢えて起訴して無罪になった時だけ、不当起訴の批判を甘受すべきではないでしょうか?
その為には起訴の実際的効果を今のように重いものにせず、軽くする事が必要な事は言うまでもありません。
そうでないと、実験の為に逮捕勾留されては国民が溜まったものではないので、在宅起訴を基本とし、逮捕しても法律の原則通り、さっさと保釈する運用に切り替えるべきでしょう。
それに国民の受け止め方も重要です。
次のコラムでマスコミ報道の問題点について書いてみましょう。




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