01/27/03

議会制民主主義とは 2(無修正主義の問題点2)

無修正主義=国会の議論の形式化によって、族議員と結びついた国民の何%の意見で国家の方針が決まってしまうのは問題です。
しかし、民主国家にとっては、与党内の事前調整による決定がそのまま国会で議決され、法律になってしまう事の方が問題が大きいのです。
与党内の事前調整は、公開の討論を経ない、密室の話し合いで行われる為に、公正に考えて、国家の為になるかどうかと言う議論よりも、情実や、特定業界どころか特定業者と癒着した族議員が、跳梁ばっこ(こう言うと、なんか虫けらみたいですね)しがちです。
それも、最初は『単なる病理現象であって人を得れば防げる』と言う言訳も成り立ったでしょうが、自民党が長年与党であり続けた為に、族議員にならなければ、何も発言出来ない仕組みになって来て、これが常態化して来たことです。
こうした仕組みは、鈴木宗男議員と外務省の不明朗な関係が明るみに出た事によって、誰もが知ってしまったところでしょう。
こうした不祥事を知ると、国会または公開の場で堂々と討論をする過程が大切である事が分かりますね。
民主主義と言うのは、結果と言うより議論の過程を重視する仕組みです。
公開の場で、ある政策の採用について、利害得失を堂々と討論する、その討論の結果優劣を決めるのが民主主義の原点です。
非公開の場での『この前貸しがあるから今度は俺の顔をたててくれ」等と言う情実は公開の場では通りません。
議会制民主主義と言うものは、単なる多数決に意味があるのではなく、こうした公開の討論を保障する事にこそ、その生命があると言えるでしょう。
道路民営化委員会のように、国の重要な施策の決定は、すべからく、公開の場で討論したうえで、多数決で決めて欲しいものです。
現在の国会運営では、何百人もの国会議員が何故必要か疑問だと思いませんか?
国会中継を見ると、一人二人の決まった質問者と、答弁者だけが頑張っていて、その他はせいぜいやじを飛ばすだけの仕事か、居眠りをしているだけです。
その場に参加する以上は、議論の進展によっては、談論風発で参加者が意見を述べたり、質問が出来ないと、みんなで討論した事にならないのではないでしょうか?
そう言う討論の中から、反対か賛成かだけでない、文殊の知恵とも言うべき、第三の知恵が生み出されるのが討論の良さではないでしょうか?
その生み出された知恵に対して、更に参加者の多数で、どれが最も優れた知恵か決定するならば、真の民主主義と言えるでしょう。
これに反して、議論は形式的にこなして一定の持ち時間まで決めて、『ハイ、持ち時間が終わりました、多数決で決めましょう』と言うのでは、国会中継を見る人が減るばかりでしょう。
それに、『予め届け出た質問者が、予め届け出た質問事項以外に質問出来ない』と言う現在の国会運営では、居合わせた参加者が議論に参加出来ないのですから、何の為に出席しているか分かりませんね。
『議論を監視?』するだけならば、国会論議を全部テレビ中継すれば足りるのです。
彼等全く発言しない代議士は、自分の存在価値が、陰で役人に対する不明朗な取り引きをする以外にないと言うのでは、本当に悲しいですね。
国会ってなにをする所か分からなくなりませんか?

 


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