01/25/03
民法の制定当時から時代変遷を経て、現在は消費者問題が重要性を持って来た説明から、民法の限界、憲法の限界、55年体制の説明など、次々と話しがそれて行きましたが、この辺で、民法の条文の解説に戻る事にしましょう。
民法28までのコラムをもう一度読み直して下されば、かなり分ると思いますが、成年で後見人が選任されるのは、意思能力が完全になくなった人ばかりではありません。
意思能力がどの程度欠けていれば良いかと言うと、
民法第7条 『精神上の障害ニ因リ、事理を弁識スル能力ヲ欠ク常況ニ在ル者ニ付テハ・・・・・』となっていて『常日頃』心神喪失状態である事が選任申し立ての要件になっているのです。
『常況』であればいいのですから、いつも(100%)事理の弁識能力を欠いていなくともいいのです。
これまで書いて來たように、(民法27)常に駄目な人は、何か言ったり、何かしたりしても、意思表示とは認められませんので、元々何の効力(正確には無効以前の不成立と言う分野です。)も生じないのですから、後見人を選任しておく必要もないのです。
たまに正常になる人が行為すると、その行為の時に正常であったか否か、すなわち有効な意思表示であったか否かが、問題となります。
後日、過去のある時点を捉えて正常だったかどうかをきめるのは大変ですから、そうした紛争を防ぐ為の制度ですから、時々正常になる人にこそ必要な制度なのです。
無能力制度と言うのは『おおむね駄目な時が多いな』と言う人の為の制度ですが、実際は、申し立てて却下されるのが厭なのか、100%間違いないような時しか申し立てがされませんので、実務上は、疑問の余地がないような場合ばかりです。
この様にどちらか分からないからこそ、裁判所で判定するのですから、出してみて様子を見るのが本来ですが、我国では『申し立てた以上は必ず通らないと恥をかく』とか『責任問題になる』と言う考え方が、一般的な生活習慣病?になっていますので、いろいろな分野で病理現象が蔓延するもとになっています。
それと、人権侵害の一態様として、親族間の争いで、精神病ではないのに、無理矢理、精神病院へ強制的に入院させられる事件がたまに発生します。
こういう後ろめたさが手伝うのか、親族が申し立てるにあたって、誰が見ても問題がないような時に、やっと申し立てると言う運用が定着したのかも知れません。
まだら惚け程度で申し立てて、裁判所に却下されると、申立人がとんでもない悪い事をしているような感じを受けるのでしょうか?
でも、成年後見制度と言うのは、精神病院へ無理に入れる為のものではなく、むしろ、被後見人が悪い人に騙されないようにするだけの制度なのです。
勿論、被後見人になると言う事と、精神病院への入院の必要性とは、全く関係がありません。
これからは、子供同志の将来の相続権争いの為の選任ではなく、真に被後見人自身の為に、自分の信頼出来る人を、後見人に選任しておくような申し立てをする人が増えてくると良いと思いますよ。
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