01/12/03
文化発信国家へ(教育改革の方向)2
これからの社会は、稼ぐのは、程々にして国民も生活を豊にする必要があるのです。
豊な社会とは、人より多くの物を持ったり作ったり、預貯金の積増しを卒業した社会です。
こういう社会では、大量生産品を他国より安く作るよりも、人と違ったものを創作出来る人材こそが求められるのです。
理科系教育に重点を置いているのでは、そうした人材は育たないのではないでしょうか?
これからは規格品の大量生産品や技術を、いくら先行開発しても、直ぐ追い付かれて際限のない競争が待っているばかりで、いつかは韓国や中国に追い付かれてしまうでしょう。
現に半導体や液晶その他の先端技術では、一部追い抜かれかかっていますよ。
最も典型的な例はとしてはセイコーの時計でしょうか?
いくら技術革新しても、安く大量に、高性能と言うだけではどうにもならなくなって苦しんでいます。
高性能でなくともスイスのブランド物は何十倍の値段で売れているのです。
こう考えると、今後研究者や中堅的技術者ばかりを養成しても、日本はやって行けない時代が迫っています。
流行の研究をするよりも『こういうセンスの物が売れるのではないか』と言う発想をする方が難しいし、我国にとって有益な時代が来ていると思います。
大勢の国民を養う為には大量生産をやめられないと言うのも判りますが、この連載で主張しているように、人口が減少する道を選ぶなら、その必要がなくなります。
文系を充実して、意匠や、デザイン・日本料理、芸術作品等々の文化発信的な人材を輩出してこそ、先進国の地位を保てるのではないでしょうか?
現在、鏡であれ鳥かごであれ、或いはソファに始って電気器具、宝飾品に至る迄、大きいものから小さなもの迄あらゆる分野で、センスの良いものを求めようとすると、西洋各国からの取り寄せ品になり勝ちです。
江戸時代の工芸品や芸術其の他文化水準は、世界に冠たるものであった事はジャポニズムという今に残る言葉によって証明されています。
それなのに、いまでは『良いものは海外から、安物の規格品は日本製』でという住み分けになってしまったのは、残念な事ではありませんか?
明治以降、我国は稼ぐ人材ばかりを優遇して来たので、文化面がおろそかになってしまい、貧弱な国家になったのではないでしょうか?
エコノミックアニマルなどと揶揄されても、貧しかった当時としては一生懸命稼ぐより外なかったのですから、仕方なかったと思いますが、もし、今言われたら恥ずかしいですね。
真に文化国家を目指すなら、理系が不要と言うのではありませんが、文系重視に切り替えるべき時が来ていると言うのが私の考えです。
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