01/02/03
耳順(耳したがう)
元旦のコラムで孔子の『耳順』について書いた機会に、一言、
『40にして惑わず』という孔子の言葉も有名ですが、世の中には、既に40歳を越えた方も多いので、この『不惑の年』を実感している人が多いと思います。
私はこの『不惑』の言葉を、孔子のように立派な人だけの事かと思っていました。
しかし、実際に40歳になってみると、孔子のように人生の奥義について惑わなくなると言う程、大層な覚悟ができる訳ではないのですが、庶民と言うか凡人には凡人なりに、覚悟が出来て惑わなくなるものだと実感したものでした。
特に我々弁護士と言うものは、人の悩みや、もめ事について、瞬時に、依頼者に代わって決断しなければなりません。
30代には、経験が浅い事もあって、事件処理に悩む事が多かったのですが、経験を積むに従って徐々に決断力がつき、丁度40歳になった頃に殆ど『惑わなくなった』のには、驚いたものです。
孔子の言葉が人口にカイシャしているには、それだけの理由があって、(私だけでなく)殆どの人が意外に実感するからではないでしょうか?
さて今日の話題の『耳したがう』はどうでしょうか?
元旦のコラムで、『還暦」と言うのは、『人生の現役を一旦卒業しても良い時期ではないか』と解釈しました。
たまたま、現在の我国では、60歳定年が定着しつつありますから、まさにリタイヤ−する年です。
リタイヤ−後に再就職する人もいるでしょうが、それでも、一旦一線を退いた気楽さがリラックスさせてくれるようになるでしょう。
耳順とは、人の意見に耳を傾けるだけではなく、『事の善悪や相手の品性を見抜ける様になる』と言う事らしいですが、凡人にはそこまでは無理でも、リタイヤーが、人の意見に耳を傾ける余裕を与える事になるでしょう。
孔子は、諸国遊説をやめて、魯国に帰って第2の人生(余生)を始めたのが68歳だと言われていますので、我国の定年になった人と同じ年齢ではないですね。
しかし、孔子様が60歳の時は、まだ故郷に帰ってはいないものの、かなり引退気分になっていたのかも知れませんね。
いづれにせよ、60歳を越えたら、耳したがう余裕の人生を送りたいものですね。
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