01/01/03
お正月を迎えて
2003年のお正月を迎えました。
1年を振り返ると、誰にとっても良かった事良くなかった事いろいろな1年だったと思います。
人生と言うのは、良かったと思う事が後になって悪い結果の遠因であったり、スランプで苦しんでいたのが、後になると次の飛躍の下準備の期間であった事が分ったりしますので、僅か1年単位で過去を振り返っても、あまり意味がないのかも知れません。
今年はひつじ年ですが、ひつじ年生まれの人は、新聞によると、昭和42年生まれが最も多く2番目が昭和18年生まれとなっていました。
昭和18年生まれの人たちは、今年還暦を迎える事になりますが、昭和30年生まれや、42年生まれ、、54年生まれ、66年生まれよりも、何十万人単位で多いのには、今さらながら、少子化の現実に驚かされました。
昭和18年生まれの人たちは、今年還暦を迎える事になります。
還歴を迎えると言っても、今どき60やそこらでは、老人クラブにも入れませんし、保険制度のコラムで後日書きますが、老人保健法(70歳以上)の対象でもありません。
その上、年金受給資格まで、順次65歳まで引き上げようと言う御時世ですから、赤いちゃんちゃんこなど着せてもらって笑っていられません。
この還暦を祝う習慣は何時の頃から始ったのでしょうか?
何事も、庶民に至るまで、一般化したのは、戦後の豊かな時代からと言うのが多いのですが、そう言う商魂に育まれて一般化する前、上流階層や特殊知識人の間で、お祝をするようになったのが何時頃からか、知りたかったのですが、残念ながら良く分かりません。
そもそも、中国から伝来したのか、我国固有のお祝かすらわからないのです。
どなたか詳しく御存じの方は、お教え下されば幸いです。
そこで、難しい事は置いといて、還暦と言うとなんか古い時代の産物で長寿社会に必要無いのじゃないかという印象を持たれる人が多いと思います。(私も、冒頭に書いた印象でした。)
そこで、この機会に昔の人の寿命を少し考えて見る事にしました。
少し列挙して見ますと、中国では、孔子が73歳、孟子が83歳、インドのお釈迦さまは80歳、我国では。徳川家康が76歳、秀吉が61歳、前田利家が61歳、養生訓で有名な貝原益軒が78歳、吉宗が68歳、近い所では徳川慶喜が76歳、西洋で見ても、アリストテレスが62歳、プラトンが80歳と、意外に長寿で現在と殆ど変わらない事に気付きます。
こうしてみると、昔短命だったから還暦祝があったと言う印象が間違いであった事が分かりますね。
寿命に関係なく、10干12支がひと廻りして、再び始ると言う所に着目したお祝のような感じがしますがいかがでしょうか?
クリスマス、我国の冬至、一旦衰えるだけ衰えた太陽が、再び上昇に転じるこの日を人類は祝って来ました。
一陽来復と言う熟語もあります。
寿命が短かったから、60歳まで生きたのを祝ったのではなく、(70歳は古来稀なりと言うお祝ですが)一陽来復、これから新しい人生がアルゾ、と言う励ましのお祝だと解釈したいのですが如何でしょうか?
孔子の言葉に60にして耳順うというのがあって、古来60歳を、『耳順』と言い習わされております。
千葉県の大先輩、伊能忠敬は、隠居してから73歳で死ぬまで、大日本沿海輿地図の測量にまい進し、ついにこれを成し遂げました。
バブル崩壊後暗い話題が続いていますが、考え様によれば、次なる飛躍の為の準備期間とも言えますし、一定の年齢の人は、この機会に、伊能忠敬までは行かないまでも、心機一転、新しい事に挑戦するのも良いかも知れませんね。(外国に出かけていって、技術指導に燃えるのも良いですね)
日本の皆様にとって今年が一陽来復の年になる事を願って、新年のコラムとしましょう。
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